ありがとうございます。
本市で、東日本大震災においては、学校そのものが被災したところも大変多いし、生徒児童の御家庭も全壊したところが大変多かったので、実際に学校が開始されたのは五月の九日だったと思います。それまでは、学校どころではないということだったと思います。そういうケースだけではないとは思いますけれども、まずは学校を安全なところに建てるということが極めて大事だというふうに思います。
先ほど、東日本大震災で本市の旧向洋高校が震災遺構になっているということに象徴されますように、津波常襲地帯であっても、本市においてはそういうところに立地していたということがありますので、学校がやはり常に機能できるように安全なところに建てる、そのことが同時に、避難所としても使えるということになると思います。
あわせて、普通教室については一定程度の時期がたつと授業が行われる可能性がありますけれども、それ以外の特別な教室というのはあるわけですね、図画工作であるとか音楽だとか。そういうところについては、避難所との兼用みたいなことが速やかに行われるような仕組みづくりというか、考え方というものが必要になってくるのかなというふうに思います。
あとは、子供たちにとってみれば、実は、人生の中では大変大きな学びの時間になると思います。本市において、気仙沼小学校というところで子供たちが自主的に何を始めたかというと、壁新聞を作る。ファイト新聞というんですね。子供たちが自分で新聞を作ることによって、そのことを見た大人たちが、自分たちが頑張らなくてはいけない、しっかりしなくてはいけないということに気づかされたということがありました。
あとは、学校の継続という意味では、被災していない学校との連携によって、教室を移動させるとか、そういうような様々なアレンジメントはできるのではないかなというふうに思ったところです。
あとは、実際に御両親が被害に遭われた、犠牲者になられた御家庭につきましては、物すごく多くの数ではありませんので、実際、フォローもしておりましたし、様々な支援の手が十分に金銭面では入ってきているというふうに感じておりますが、その心のケアというところまでいくと、しっかりとした仕組みの中で十分できたかということにつきましては検証が必要だなというふうに思っておりますので、そのことについては、先ほど来のお話のように、子供の権利、人権というものを最大限尊重した対応がこれからも必要だというふうに考えております。
94山山田瑛理(みらい)
ありがとうございました。
では続きまして、石井参考人にお伺いをさせてください。
被災者の人権、尊厳の維持というところをお訴えされていらっしゃるかと思います。支援の本質は人道支援であり、人間の尊厳の維持と保護の実現が重要だということ、私も大変に共感をいたしております。
日本の避難所は長らく、体育館の床に雑魚寝が当たり前とされてきました。これは災害だから仕方ないというような空気が社会的にも行政にもしみついているからではないかと思っていて、こういった我慢が美徳となってしまうという背景、例えば、権利として、被災者支援という概念が日本の制度にも文化にも根づい…
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95石石井美恵子国際医療福祉大学大学院災害医療分野教授
またまたとても難しい質問、ありがとうございます。
日本の人権教育が、文科省のホームページ、皆さん見ていただければ分かるんですけれども、人権は権利であるとうたわれているんですけれども、人権教育になると、自分の人権を守って他者の人権を守りましょうと、思いやり教育にすり替えられています。ですから、人権は権利なんだということを社会全体がコモンセンスとして共通認識しないと、どうしても、我慢させるというか。それはもしかしたら、ふだんの福祉とか生活保護の問題とか、そういったこととも関係するかもしれませんけれども、やはり人権教育というものを根本的に見直していかないと、…
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96山山田瑛理(みらい)
どうもありがとうございました。
続きまして、菅原参考人にお聞きをさせてください。
子供の学びを止めないために何が必要かというところを是非御共有いただければと思っていて、学校は地域の避難所にもなります。でも、子供たちの学びというものは止めてはいけないというふうには思っております。発災後にこの学びを止めないために実際に機能したことや課題になったことをお聞かせいただければと思っております。
防災庁が関係省庁と連携をしていくことも必要だと考えておりまして、教育継続支援に関与する仕組みの必要性についても御意見をいただきたく、また、関連して、災害孤児の実態把握…
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- (上の発言)
97菅菅原茂宮城県気仙沼市長
ありがとうございます。
本市で、東日本大震災においては、学校そのものが被災したところも大変多いし、生徒児童の御家庭も全壊したところが大変多かったので、実際に学校が開始されたのは五月の九日だったと思います。それまでは、学校どころではないということだったと思います。そういうケースだけではないとは思いますけれども、まずは学校を安全なところに建てるということが極めて大事だというふうに思います。
先ほど、東日本大震災で本市の旧向洋高校が震災遺構になっているということに象徴されますように、津波常襲地帯であっても、本市においてはそういうところに立地していたということがありますので、学校がやはり常に機能できるように安全なところに建てる、そのことが同時に、避難所としても使えるということになると思います。
あわせて、普通教室については一定程度の時期がたつと授業が行われる可能性がありますけれども、それ以外の特別な教室というのはあるわけですね、図画工作であるとか音楽だとか。そういうところについては、避難所との兼用みたいなことが速やかに行われるような仕組みづくりというか、考え方というものが必要になってくるのかなというふうに思います。
あとは、子供たちにとってみれば、実は、人生の中では大変大きな学びの時間になると思います。本市において、気仙沼小学校というところで子供たちが自主的に何を始めたかというと、壁新聞を作る。ファイト新聞というんですね。子供たちが自分で新聞を作ることによって、そのことを見た大人たちが、自分たちが頑張らなくてはいけない、しっかりしなくてはいけないということに気づかされたということがありました。
あとは、学校の継続という意味では、被災していない学校との連携によって、教室を移動させるとか、そういうような様々なアレンジメントはできるのではないかなというふうに思ったところです。
あとは、実際に御両親が被害に遭われた、犠牲者になられた御家庭につきましては、物すごく多くの数ではありませんので、実際、フォローもしておりましたし、様々な支援の手が十分に金銭面では入ってきているというふうに感じておりますが、その心のケアというところまでいくと、しっかりとした仕組みの中で十分できたかということにつきましては検証が必要だなというふうに思っておりますので、そのことについては、先ほど来のお話のように、子供の権利、人権というものを最大限尊重した対応がこれからも必要だというふうに考えております。
98山山田瑛理(みらい)
それぞれ、御意見ありがとうございました。
終わります。
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関芳弘(自民)
これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。
参考人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
次回は、来る五月十二日火曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
午後零時七分散会
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