菅原茂宮城県気仙沼市長

2026年4月28日・第221回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第7号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 97 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 100 発言)

ありがとうございます。

本市で、東日本大震災においては、学校そのものが被災したところも大変多いし、生徒児童の御家庭も全壊したところが大変多かったので、実際に学校が開始されたのは五月の九日だったと思います。それまでは、学校どころではないということだったと思います。そういうケースだけではないとは思いますけれども、まずは学校を安全なところに建てるということが極めて大事だというふうに思います。

先ほど、東日本大震災で本市の旧向洋高校が震災遺構になっているということに象徴されますように、津波常襲地帯であっても、本市においてはそういうところに立地していたということがありますので、学校がやはり常に機能できるように安全なところに建てる、そのことが同時に、避難所としても使えるということになると思います。

あわせて、普通教室については一定程度の時期がたつと授業が行われる可能性がありますけれども、それ以外の特別な教室というのはあるわけですね、図画工作であるとか音楽だとか。そういうところについては、避難所との兼用みたいなことが速やかに行われるような仕組みづくりというか、考え方というものが必要になってくるのかなというふうに思います。

あとは、子供たちにとってみれば、実は、人生の中では大変大きな学びの時間になると思います。本市において、気仙沼小学校というところで子供たちが自主的に何を始めたかというと、壁新聞を作る。ファイト新聞というんですね。子供たちが自分で新聞を作ることによって、そのことを見た大人たちが、自分たちが頑張らなくてはいけない、しっかりしなくてはいけないということに気づかされたということがありました。

あとは、学校の継続という意味では、被災していない学校との連携によって、教室を移動させるとか、そういうような様々なアレンジメントはできるのではないかなというふうに思ったところです。

あとは、実際に御両親が被害に遭われた、犠牲者になられた御家庭につきましては、物すごく多くの数ではありませんので、実際、フォローもしておりましたし、様々な支援の手が十分に金銭面では入ってきているというふうに感じておりますが、その心のケアというところまでいくと、しっかりとした仕組みの中で十分できたかということにつきましては検証が必要だなというふうに思っておりますので、そのことについては、先ほど来のお話のように、子供の権利、人権というものを最大限尊重した対応がこれからも必要だというふうに考えております。

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