中でも、DV被害者が、例えば写真だとかあるいは録音だとか、そうした物的証拠というか客観的証拠というか、こういうものがなければ言い分を認めないよとされてしまったら、沈黙を強いられる、加害者の支配に縛り付けられ続けるしかないという絶望になるでしょう。
裁判所関係者があるいは弁護士が暴力やDVがあったとしてもという発言をするのは、あろうがなかろうがという意味で、つまり当事者の訴えを否定してしまうということだと思います。本当に思いを決して調停の場でその話をしたら、あろうがなかろうがと言われたら、沈黙を強いられるということになるじゃないですか。
仮にそうした説得によって親権などについての合意があったかのような外形がつくられても、私は、それはこの八百十九条が求める真摯な意味での合意にはならないし、この八百十九条の七項の趣旨について、父母間に意見の違いがあるというか、まとまらないという状況があっても、裁判所がそうしたプロセスを置くことによって子の利益、最善の利益を探求するプロセスがつくれるんだというような趣旨の発言、答弁を法案審議の際にされておりましたけれども、強引に説得する、抑え付ける、沈黙を強いるというのは、これはそもそも法の趣旨に反する、あるいは法の趣旨ではないのではないですかということを聞いています。
120松松井信憲法務省民事局長
お答え申し上げます。
一般論として申し上げれば、親子交流の実施に当たっては、子や監護親の安全、安心の確保が必要不可欠でありまして、夫婦間の暴力やDVの有無というものはその際の重要な考慮要素になるものと考えております。
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仁比聡平(共産)
ちょっと聞き方変えますけれども、このDVや虐待という必要的単独親権の事由があるかないかについて、あると訴えている当事者に立証責任はない、当事者に立証責任を負わせるものではないということはこれまでこの委員会でしっかり答弁をいただいていることなんですね。局長、そうですよね。
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122松松井信憲法務省民事局長
訴訟と異なって、非訟事件と言われているこの家事の関係につきましては、立証責任というものはないというふうに御答弁申し上げているところでございます。
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- (上の発言)
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仁比聡平(共産)
中でも、DV被害者が、例えば写真だとかあるいは録音だとか、そうした物的証拠というか客観的証拠というか、こういうものがなければ言い分を認めないよとされてしまったら、沈黙を強いられる、加害者の支配に縛り付けられ続けるしかないという絶望になるでしょう。
裁判所関係者があるいは弁護士が暴力やDVがあったとしてもという発言をするのは、あろうがなかろうがという意味で、つまり当事者の訴えを否定してしまうということだと思います。本当に思いを決して調停の場でその話をしたら、あろうがなかろうがと言われたら、沈黙を強いられるということになるじゃないですか。
仮にそうした説得によって親権などについての合意があったかのような外形がつくられても、私は、それはこの八百十九条が求める真摯な意味での合意にはならないし、この八百十九条の七項の趣旨について、父母間に意見の違いがあるというか、まとまらないという状況があっても、裁判所がそうしたプロセスを置くことによって子の利益、最善の利益を探求するプロセスがつくれるんだというような趣旨の発言、答弁を法案審議の際にされておりましたけれども、強引に説得する、抑え付ける、沈黙を強いるというのは、これはそもそも法の趣旨に反する、あるいは法の趣旨ではないのではないですかということを聞いています。
124松松井信憲法務省民事局長
一般論として申し上げますと、御指摘のような事情によって、DV等の事情があるにもかかわらず、父母の一方が不適切な形で合意を強制される、強要されることがあってはならないと考えているところです。
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仁比聡平(共産)
時間が迫っていますので、大臣に今議論していることについて一問ちょっとお尋ねをしたいと思うんですよ。
これまでの法務委員会の法案やこの委員会での議論で、法務省民事局は、DVの本質が支配であるということをお認めになっています。改めて、大臣がその点をどう捉えておられるかということと、今申し上げているような、DVの主張を認めず否定してしまう、事実上否定してしまうというようなことになってしまったら、それは裁判の手続なりあるいはこの離婚後共同親権の取組が支配の継続に加担するということになってしまうのではないか。離婚がやっと成立したのに、その後、共同親権だということ…
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平口洋(自民)法務大臣
改正法におきまして、裁判所は、DV被害を受けるおそれの有無等の事情を考慮して、父母が共同して親権を行うことが困難であると認められるときは必ず父母の一方を親権者と定めなければならないというふうに定められているところでございます。
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