絶対的な戸主権の下で、妻と子は無権利、無能力者とされました。
その家制度が、一九四七年五月、日本国憲法の施行の下で廃止されたわけです。明治民法から四十九年ですね。日本社会の長い歴史から見れば僅かな期間だと思います。
その年の十二月、民法改正によって、氏、氏名は、夫、妻それぞれの個人の呼称、つまり、その人がかけがえのない個人として尊重されるあかしであり、人格権の象徴として大きく変わったのではないのか。法務大臣、いかがですか。
2025年3月26日・第217回国会 参議院 予算委員会 第12号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 215 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 240 発言)
絶対的な戸主権の下で、妻と子は無権利、無能力者とされました。
その家制度が、一九四七年五月、日本国憲法の施行の下で廃止されたわけです。明治民法から四十九年ですね。日本社会の長い歴史から見れば僅かな期間だと思います。
その年の十二月、民法改正によって、氏、氏名は、夫、妻それぞれの個人の呼称、つまり、その人がかけがえのない個人として尊重されるあかしであり、人格権の象徴として大きく変わったのではないのか。法務大臣、いかがですか。
お答えいたします。
委員御指摘のとおり、明治三十一年に施行されました明治民法では、第七百四十六条において「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」と、第七百八十八条第一項において「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」と、それぞれ規定をされたところでございます。
このように、明治民法では、家の制度を導入し、夫婦の氏について直接規定を置くのではなく、夫婦共に家の氏を称することを通じて同氏になるという考え方が採用されたと承知をしております。
明治民法で始まった同氏の強制は、まさに家父長制だと思います。
その下で、妻と未成年の子はどんな地位に置かれましたか。
お答えいたします。
家の制度では、家は戸主とその家族によって構成され、戸主はその家族に対して戸主権を行使し、戸主の身分及び財産は家督として単独相続されるものとされておりまして、妻及び未成年の子を含め戸主以外の家の構成員は、居所指定権や婚姻同意権などの戸主権に服する者とされていたと承知をしております。
また、例えば婚姻に関しては、妻は夫と同居する義務を負う、夫は妻の財産を管理すと規定され、親権に関しては、子はその家にある父の親権に服すなどと規定されていたものと承知をしております。
絶対的な戸主権の下で、妻と子は無権利、無能力者とされました。
その家制度が、一九四七年五月、日本国憲法の施行の下で廃止されたわけです。明治民法から四十九年ですね。日本社会の長い歴史から見れば僅かな期間だと思います。
その年の十二月、民法改正によって、氏、氏名は、夫、妻それぞれの個人の呼称、つまり、その人がかけがえのない個人として尊重されるあかしであり、人格権の象徴として大きく変わったのではないのか。法務大臣、いかがですか。
今御指摘のように、昭和二十二年の現行民法、この制定によって「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」というふうにされました。このことは、当然ながら、その前の明治民法のそのお家という趣旨とは異なるものと承知をしております。
何だかはっきりしないですね。 資料の二枚目に、制定過程で夫婦別姓を提唱された家族法の大家、中川善之助名誉教授の文章をお配りをしています。 この七百五十条、現行の、について、夫婦が自由平等の協議で決めればいいという、公平といえば公平、ずるいといえばずるい方法だと。やっぱりずるいですよね。なぜこうなったかと。煎じ詰めるところ、夫が妻の氏を称するのは恥辱だという偏見が根底にあるのだと思うと。 今を生きる私たちが同じような偏見にとらわれていないのか、我が身を常に顧みるべきだと思います。 第二次別姓訴訟原告の、広島の恩地いづみさんという方がいらっしゃいます…
まさに、それぞれの名、氏というもの、そこは人格権というか、そういったことと結び付いたものであると、そういった認識は私もございます。