自らおっしゃったように、二〇一七年まで都連会長でいらっしゃったんですから、未来のことを聞いているんじゃないんですよ。過去のことについても明らかにしてください。自民党都連として重要な立場でおられるんですから。正直に話していただくために今回この場所に来られたんですよね。政治不信を与えてしまったことをおわびするとおっしゃるなら、それがせめてもの償いであり、そして責務です。
残念ながらもう時間ですけれども、今回、何一つ新たな事実を下村参考人からお聞きできませんでした。冒頭お尋ねした還付再開の件でも、下村参考人の発言と松本氏や塩谷氏の発言は食い違ったまま。
委員長、塩谷氏は、自分の説明と松本氏の発言は一致していると報道でもコメントしていますから、是非、この場で、今国会で塩谷氏の参考人招致を求めます。そして、先ほど、森元総理の発言、コメントされましたけれども、還流再開について森元総理が決めたと認めた音声について否定されませんでした。ですから、森元総理の証人喚問を求めて、私の質問を終わります。
ありがとうございました。
75下下村博文前衆議院議員
まず、冒頭、問題提起がありました。そのとおりだと思います。もっと積極的に、私自身含めて、あるいは私自身が、より、政治不信を巻き起こした責任者の一人として、より丁寧に早く説明をしなければならないというふうに思っておりますし、また、今回、このような場をつくっていただいたことを本当に感謝申し上げたいというふうに思います。
還付について、八月五日、誰がということではなくて、私自身も、一人の議員から、ノルマ以上の売上げがあったものについて何とかならないかという話があったということを申し上げましたが、ほかの議員からも同じような話がありまして、これは共通認識として、…
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76
櫛渕万里(れいわ)
誰かが言っているに決まっているじゃないですか。
派閥から個人のパーティー券を形式的に買うということになったわけですけれども、事実上は還付と一緒だから、これが再開なんですよ。ポイントは、還流と言おうが、個人のパー券だろうが、派閥からお金が各議員に渡っていた、このことが問題なんです。これが実態だということが、還流再開と一緒じゃないですか。参考人の収支報告書には実際に、二〇二二年、百二十八万円の不記載があるじゃありませんか。
さて、裏金問題は旧安倍派だけではありません。何で旧安倍派だけが狙い撃ちなんだと、参考人は本音では思っているんじゃないですか。
さら…
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77下下村博文前衆議院議員
私自身は、昨年の四月の四日に一年間党員資格停止という処分がありまして、それはもう謙虚に受け止めさせていただきました。その中で、昨年の十月の衆議院選挙は、これは無所属で戦ったわけでございます。同時に、清和研の同志の方々も、十二人、無所属で戦ったわけでございます。(櫛渕委員「都議会のことを聞いています。都議会自民党について答えてください」と呼ぶ)
都議会について今御質問ということでありますが、私も都連所属の一人として、今回の一連の問題に対して、国民の皆様方に多大なる御心配をおかけしているということについて、心から私自身もおわび申し上げたいというふうに思いま…
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- (上の発言)
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櫛渕万里(れいわ)
自らおっしゃったように、二〇一七年まで都連会長でいらっしゃったんですから、未来のことを聞いているんじゃないんですよ。過去のことについても明らかにしてください。自民党都連として重要な立場でおられるんですから。正直に話していただくために今回この場所に来られたんですよね。政治不信を与えてしまったことをおわびするとおっしゃるなら、それがせめてもの償いであり、そして責務です。
残念ながらもう時間ですけれども、今回、何一つ新たな事実を下村参考人からお聞きできませんでした。冒頭お尋ねした還付再開の件でも、下村参考人の発言と松本氏や塩谷氏の発言は食い違ったまま。
委員長、塩谷氏は、自分の説明と松本氏の発言は一致していると報道でもコメントしていますから、是非、この場で、今国会で塩谷氏の参考人招致を求めます。そして、先ほど、森元総理の発言、コメントされましたけれども、還流再開について森元総理が決めたと認めた音声について否定されませんでした。ですから、森元総理の証人喚問を求めて、私の質問を終わります。
ありがとうございました。
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安住淳(立憲)
これにて櫛渕さんの質疑は終了いたしました。
次に、田村貴昭君。
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田村貴昭(共産)
日本共産党の田村貴昭です。
下村参考人は、昨年三月十八日の衆議院政治倫理審査会で、政治資金パーティー券の売上げキックバックについて、次のように述べておられます。
いつからということははっきり申し上げることはできない。ただ、長年の慣行として、会長と事務局長で、収支報告書への不記載を含めて、慣行として決めてきたということではないか。少なくとも、私自身が、相談を受け、その後、協議して復活しようとしたことに全く関わっていないと繰り返しておられます。
しかし、下村参考人は、政倫審後の五月十五日、国会内で行われた講演で、森喜朗氏が派閥の会長を務めていた二〇〇五…
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81下下村博文前衆議院議員
政倫審で私自身がお話をしたのは、そのとおりでございます。
そして、そのときに、与党、野党の先生方から、二〇〇五年の清和研の資金集めパーティーの件で、共同通信やあるいは当時の静岡新聞等に記載をされていたということについて、私も初めて知りました。
そのときの清和研の会長が森会長であったわけでございまして、当時から清和研においてそのようなことが行われていたということが、後で報道で知ったということで申し上げましたが、そのスタートがいつなのか、二〇〇五年以前から行われていたのかどうかということは承知しておりませんが、二〇〇五年について、それが報道であったという…
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