赤嶺政賢 (日本共産党)

2025年3月25日・第217回国会 衆議院 本会議 第11号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 6 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 31 発言)

ただいま私たち十四名に対し、院議をもって在職二十五年の表彰をしていただき、誠にありがとうございました。心からお礼の言葉を申し上げます。(拍手)

私は、まず、二〇〇〇年の初当選以来、四半世紀にわたって私を国会に押し上げていただいた九州、沖縄の皆さんに心からお礼を申し上げます。

私の原点は、基地のない平和で豊かな沖縄を建設することです。

私は、一九四七年、米軍の直接統治下の沖縄で生まれました。悲惨な沖縄戦の傷痕が残る中でした。父親の畑仕事を手伝うようになると、戦没者の遺骨の断片を畑の四隅に積み上げるのが私の役割でした。米兵による強姦事件などが処罰されないことに大きな怒りを抱きながら育ちました。

沖縄戦を生き残った人々は、「いくさーならんどー、なーいくさーならんどー」と口癖のようにつぶやいておりました。戦争は嫌だ、戦争はもう絶対に繰り返してはならないという気持ちが込められていました。憲法九条を守れの決意は、私自身の生い立ちに根差しているものであります。

私は、大学に進学するときに、パスポートを持って上京しました。この屈辱は生涯忘れません。当時の沖縄は、サンフランシスコ講和条約第三条によって、日本から切り離されていたのであります。

日本国憲法の下への復帰を願った祖国復帰闘争は、沖縄と本土の連帯した闘いで、沖縄の施政権返還をかち取ることができました。ところが、その後、日米安保条約が沖縄に適用され、広大な米軍基地は復帰前と変わらず存在し続けています。

私は、当選以来、普天間基地の無条件返還を求め、辺野古新基地建設を押しつける政府と論戦を重ねてきました。

米軍基地あるがゆえの事件、事故が繰り返され、憲法の上に安保条約、地位協定があり、県民の人権がじゅうりんされる軍事優先の異常な社会は変えなければなりません。

ところが、政府は、繰り返し示してきた民意も、地方自治も、法律さえも踏みにじり、新基地建設を強行しています。これに対して県民は、保守、革新を超えた団結で翁長県政を誕生させ、私を四回連続で小選挙区沖縄一区からオール沖縄の代表として国会に送り出してきたのであります。

オール沖縄の団結は、沖縄戦や米軍統治、その後も続く米軍支配にあらがう沖縄の平和の心が一つに結ばれたものです。

私は、命(ぬち)どぅ宝の平和の心を掲げ、辺野古新基地建設、南西諸島の軍事要塞化を許さず、基地のない平和で豊かな沖縄を目指し、県民とともにこれからも闘い続ける決意であります。

以上を表明し、謝辞といたします。

ありがとうございました。(拍手)

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