石井智恵 (国民民主党)

2025年4月25日・第217回国会 衆議院 内閣委員会 第17号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 230 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 336 発言)

ありがとうございます。国民民主党・無所属クラブの石井智恵です。

私からは、日本学術会議法案について、海外のアカデミーとの比較や、本法案が、学術会議のナショナルアカデミーとしての役割を果たすための要件が担保されているのかという観点から質問をさせていただきたいと思います。

まず初めに、世界におけるナショナルアカデミーの歴史について述べさせていただきます。

アカデミーという語源は、古代ギリシャの哲学者プラトンがアテネに開いたアカデメイアを由来としているということでありまして、その後、ルネサンス時代には、アカデミーは、学術団体、学会を意味する言葉になったということであります。

一人の研究者が研究するだけではなく、組織的に活動する機関が古くから存在をしておりました。最も古い歴史を持つものは、四百年以上前、一六〇三年、イタリアのリンチェイ国立アカデミーが設立をされました。日本では徳川家康が征夷大将軍に任じられた年と同じ年であります。既にこの頃からナショナルアカデミーが誕生しています。

フランスでは、一六六六年、ルイ十四世の時代、これはベルサイユ宮殿を建設した年でありますが、その頃から政治への助言を目的とするアカデミーが設立をされています。

今では世界的にも百四十を超えるナショナルアカデミーがありますが、常に政治との距離を模索しながら、そして、その独立性をいかに担保していくのかといったことが歴史的にも長年の共通の課題として掲げられています。

午前中から審議をしておりますこの法案について、独立性の確保がずっと議論されておりますが、長い歴史の中で、世界中のナショナルアカデミーがこの独立性を保つために、時に政治と協力しながら、そして時に戦っていきながら維持していたというふうに思っております。

人間がいかにして、平和で、そして心豊かな生活を送ることができるのか。それは、科学技術の開発などによって知恵を働かせ、技術を高めるだけではなく、それに伴う環境保護、また倫理、そして人権と、多岐にわたる課題を解決していくためのものであり、総合的に、また横断的に議論することができる国の代表機関、科学者のコミュニティーが必要であるということで、ナショナルアカデミーが存在しているということであります。

日本においても、海外ナショナルアカデミーには三百年以上後れを取りながら、ナショナルアカデミーとして一九四九年に日本学術会議が創設をされました。そこから七十六年たった今、まさにナショナルアカデミーが今後も独立性を確保しながら活動ができるのか、そして、日本学術会議が国民にとってどのような存在になるのかということを改めて問われていると思います。その岐路に立っているというふうに考えています。

そこで、大臣にお伺いをいたします。

日本学術会議の存在意義について、大臣の御見解をお伺いできますでしょうか。よろしくお願いいたします。

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