和田有一朗 (日本維新の会)

2025年3月13日・第217回国会 衆議院 憲法審査会 第1号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 66 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 77 発言)

日本維新の会の和田有一朗でございます。

私は、地元は実は神戸でございまして、一・一七、阪神・淡路の震災のときに、被災地の真ん中で、延期をされた統一地方選挙に出馬をした経験を持っています。候補者でございました。次に、三・一一、東日本の大震災のときも、私は被災地外の神戸で統一地方選挙に出馬をしている経験を持っています。ですから、二つとも議員あるいは候補者というような視点でこの経験を少し語りながらお話ししたいと思うんです。

このとき、一・一七、何が起こったかといいますと、まず電気、ガス、水道は止まって、道路は切れるし、鉄道は止まるし、電車は来ないし、何にもできない、駅立ちもできない、学校は避難所になっている、瓦れきの中で街頭もできない、ビラも配れない、こんな状況です。

そんな中で、じゃ、我々候補者、候補予定者は何をし始めたか。一・一七は、四月の、統一をやっておられる方は分かると思うんですが、直前で、最後の踏ん張りどころのときです。何をやるか。もう何にもできないので、ボランティアを始めました。水を配る。ホカロンを配った人もいます。パンを配った人もいます。弁当を配った人もいます。炊き出しをしました。風呂、温泉に連れていったこともありました。こんなことをやっていたんです。これが現場の選挙です、選挙ではありません、事前活動です。

お風呂屋さんを経営している人もいました、出ようとしている人で。この人、無料で開放せずに、お金を取ってお風呂を開けたんです。落ちました。町の人は何と言ったと思いますか。ああ、この人ね、無料で開放していたらトップ当選だったのにねと言われたんです。ホカロンを配った先生も、パンを配った先生も当選しました。これが現実です。みんな不安な中でやっていたんです。いつまでこんなことができ続けるかな、やれるだろうか、それは体力、財力、精神力、どれを取ってみても、こんなことが続くかなとみんな思っていました。

三・一一、これは、三月十一日、四月が選挙ですから、これも事前活動のピークです。このときに、私はもうチラシもポスティングもちょうどやっていたときだったんです。もうこれが止められなくて、まき切りました。そうしたら、すごい御批判をいただきました。街頭も街宣活動も自粛、普通でない選挙が始まって、多くの陣営は本戦中も自粛です。

こういう中で、私は思うんです、選挙は、投票ができるか否かではない、事前運動から始まって、投開票に至るまでのプロセスが必要なんだと。そのときに、投票や選挙モードにあるかということが有権者と共有できるかが重要だと思います。私は、二回経験した選挙戦を全国的な国政選挙に当てはめたときに、本当にこれが平等な選挙になって、選ばれたということを意味できるのかということ、今もって釈然としません。

そこでお伺いしたいことがあるんです、武正幹事に。

武正幹事は、一・一七のときに、埼玉県の県会議員の選挙に、私が東日本のときに被災地外で経験したような形で選挙をやっておられると思います。今の私の話を聞いて、幹事は率直にどうお感じに、かけているんじゃありませんよ、お感じになるのか、お伺いします。

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