日本維新の会の和田有一朗でございます。
私は、地元は実は神戸でございまして、一・一七、阪神・淡路の震災のときに、被災地の真ん中で、延期をされた統一地方選挙に出馬をした経験を持っています。候補者でございました。次に、三・一一、東日本の大震災のときも、私は被災地外の神戸で統一地方選挙に出馬をしている経験を持っています。ですから、二つとも議員あるいは候補者というような視点でこの経験を少し語りながらお話ししたいと思うんです。
このとき、一・一七、何が起こったかといいますと、まず電気、ガス、水道は止まって、道路は切れるし、鉄道は止まるし、電車は来ないし、何にもできない、駅立ちもできない、学校は避難所になっている、瓦れきの中で街頭もできない、ビラも配れない、こんな状況です。
そんな中で、じゃ、我々候補者、候補予定者は何をし始めたか。一・一七は、四月の、統一をやっておられる方は分かると思うんですが、直前で、最後の踏ん張りどころのときです。何をやるか。もう何にもできないので、ボランティアを始めました。水を配る。ホカロンを配った人もいます。パンを配った人もいます。弁当を配った人もいます。炊き出しをしました。風呂、温泉に連れていったこともありました。こんなことをやっていたんです。これが現場の選挙です、選挙ではありません、事前活動です。
お風呂屋さんを経営している人もいました、出ようとしている人で。この人、無料で開放せずに、お金を取ってお風呂を開けたんです。落ちました。町の人は何と言ったと思いますか。ああ、この人ね、無料で開放していたらトップ当選だったのにねと言われたんです。ホカロンを配った先生も、パンを配った先生も当選しました。これが現実です。みんな不安な中でやっていたんです。いつまでこんなことができ続けるかな、やれるだろうか、それは体力、財力、精神力、どれを取ってみても、こんなことが続くかなとみんな思っていました。
三・一一、これは、三月十一日、四月が選挙ですから、これも事前活動のピークです。このときに、私はもうチラシもポスティングもちょうどやっていたときだったんです。もうこれが止められなくて、まき切りました。そうしたら、すごい御批判をいただきました。街頭も街宣活動も自粛、普通でない選挙が始まって、多くの陣営は本戦中も自粛です。
こういう中で、私は思うんです、選挙は、投票ができるか否かではない、事前運動から始まって、投開票に至るまでのプロセスが必要なんだと。そのときに、投票や選挙モードにあるかということが有権者と共有できるかが重要だと思います。私は、二回経験した選挙戦を全国的な国政選挙に当てはめたときに、本当にこれが平等な選挙になって、選ばれたということを意味できるのかということ、今もって釈然としません。
そこでお伺いしたいことがあるんです、武正幹事に。
武正幹事は、一・一七のときに、埼玉県の県会議員の選挙に、私が東日本のときに被災地外で経験したような形で選挙をやっておられると思います。今の私の話を聞いて、幹事は率直にどうお感じに、かけているんじゃありませんよ、お感じになるのか、お伺いします。
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枝野幸男(立憲)
細野さん、もしあれば、短く。
この発言のページ
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細野豪志(自民)
基本的には中山プロセスを維持するというふうに私は理解をいたしました。
枝野会長は、二〇一三年の文春に更にそれを詳しく書いておられて、中山報告書の中で多く述べられたという部分が、少なくともスタート台としては一致したものだったというふうに発言をされています。
そして、衆議院法制局の方に、それでは中山報告書の中で多く述べられた部分は何なのかということがまとめられましたので改めて振り返りますと、今議論された緊急事態における法制は、中山報告書という、枝野会長が高く評価をされ、そしてそこで議論されたプロセスの中の一致点、すなわち多く述べられたという項目に入ってい…
この発言のページ
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枝野幸男(立憲)
私が従来申し上げている私の個人的な考え方の基本は変わっておりませんし、中山調査会の調査報告書を高く評価しているという認識も私個人として変わっておりませんが、一方で、二〇一三年から既に十二年経過をしておりますので、その後のこの場等における様々な議論というものもその上に乗せた上で、今後どうするかということは各党の幹事の皆さんと御協議をして進めてまいりたいというふうに思っています。
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- (上の発言)
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和田有一朗(維新)
日本維新の会の和田有一朗でございます。
私は、地元は実は神戸でございまして、一・一七、阪神・淡路の震災のときに、被災地の真ん中で、延期をされた統一地方選挙に出馬をした経験を持っています。候補者でございました。次に、三・一一、東日本の大震災のときも、私は被災地外の神戸で統一地方選挙に出馬をしている経験を持っています。ですから、二つとも議員あるいは候補者というような視点でこの経験を少し語りながらお話ししたいと思うんです。
このとき、一・一七、何が起こったかといいますと、まず電気、ガス、水道は止まって、道路は切れるし、鉄道は止まるし、電車は来ないし、何にもできない、駅立ちもできない、学校は避難所になっている、瓦れきの中で街頭もできない、ビラも配れない、こんな状況です。
そんな中で、じゃ、我々候補者、候補予定者は何をし始めたか。一・一七は、四月の、統一をやっておられる方は分かると思うんですが、直前で、最後の踏ん張りどころのときです。何をやるか。もう何にもできないので、ボランティアを始めました。水を配る。ホカロンを配った人もいます。パンを配った人もいます。弁当を配った人もいます。炊き出しをしました。風呂、温泉に連れていったこともありました。こんなことをやっていたんです。これが現場の選挙です、選挙ではありません、事前活動です。
お風呂屋さんを経営している人もいました、出ようとしている人で。この人、無料で開放せずに、お金を取ってお風呂を開けたんです。落ちました。町の人は何と言ったと思いますか。ああ、この人ね、無料で開放していたらトップ当選だったのにねと言われたんです。ホカロンを配った先生も、パンを配った先生も当選しました。これが現実です。みんな不安な中でやっていたんです。いつまでこんなことができ続けるかな、やれるだろうか、それは体力、財力、精神力、どれを取ってみても、こんなことが続くかなとみんな思っていました。
三・一一、これは、三月十一日、四月が選挙ですから、これも事前活動のピークです。このときに、私はもうチラシもポスティングもちょうどやっていたときだったんです。もうこれが止められなくて、まき切りました。そうしたら、すごい御批判をいただきました。街頭も街宣活動も自粛、普通でない選挙が始まって、多くの陣営は本戦中も自粛です。
こういう中で、私は思うんです、選挙は、投票ができるか否かではない、事前運動から始まって、投開票に至るまでのプロセスが必要なんだと。そのときに、投票や選挙モードにあるかということが有権者と共有できるかが重要だと思います。私は、二回経験した選挙戦を全国的な国政選挙に当てはめたときに、本当にこれが平等な選挙になって、選ばれたということを意味できるのかということ、今もって釈然としません。
そこでお伺いしたいことがあるんです、武正幹事に。
武正幹事は、一・一七のときに、埼玉県の県会議員の選挙に、私が東日本のときに被災地外で経験したような形で選挙をやっておられると思います。今の私の話を聞いて、幹事は率直にどうお感じに、かけているんじゃありませんよ、お感じになるのか、お伺いします。
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武正公一(立憲)
和田委員、ありがとうございます。
私も、平成七年、県議会議員選挙、平成三年に立候補して次点で落選しておりますので、四年間の準備を経て挑戦する三か月前でございました。
地元でも活動していたんですが、地元の支持者の方に、あんた、こういうときこそちゃんと兵庫に行って現場を見てきなさい、ボランティアをというようなこともあって、当時、青年会議所が活動していましたので、それに応募して、十日後ぐらいですかね、現地に伺いました。
そのときに、尼崎の電気工事事業者の方と偶然行き会って、それで、二人でずっと一日、神戸市内を回ってそれぞれの対応をしました。本当に、三か月…
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枝野幸男(立憲)
和田さん、あれば、短くお願いします。
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和田有一朗(維新)
今そう言われましたけれども、有権者の側に立ってみると、これが本当に公正な選挙になるとは私は思えない。そういう意味で、やはり選挙困難事態であって、こういう状況では、やはり私は、立法事実はある、こういうふうに主張したいと思います。
それともう一点、最後に、大石委員が言われたように、やはりこれは議論を打ち切って採決をすべきだということに対して、枝野会長はお答えになっておられませんので、お答えを求めたいと思います。
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