国民民主党・無所属クラブの許斐亮太郎でございます。
本日は、質問の機会をいただきまして、ありがとうございます。
私は、去年まで二十五年間、NHKで報道カメラマンに従事しておりました。その中で沖縄局での勤務も経験いたしました。その経験を踏まえて質問させていただきたいと思います。加えて、私は誕生日が二月の七日でございます。北方領土の日です。この委員会を心から希望してまいりました。
それでは、人生初の議会での質問に入りたいと思います。よろしくお願いします。
まずは、沖縄の戦後八十年について質問いたします。
戦争体験者や遺族にとっては節目などない、そう思いますが、国としては、この沖縄が歩んできた八十年の歴史、節目、そしてこの現状をどう捉えているのか、伊東大臣、宮路副大臣の思いをお聞かせください。
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小林史明(自民)環境副大臣
人の命は大事だ、これはもう大前提だと思うんですね。なので、それを、自治体レベルで対処可能なのか、国が法的に位置づけなきゃいけないのかということでいくと、先ほどの問題意識の、スズメバチみたいな話は自治体で対処していけていますね、こういうことの整理なんだと思っています。
生態系の話は、地球の温暖化とか変化があって、例えば海の中だと魚が捕れる位置が変わってきたりとか、様々起こってきていますが、マングースとか外来種の話は、人がわざわざ持ち込んできて、それによって繁殖が広がった、こういう話ですので、明らかに、自然環境の変化というよりは人為的なものによって大きく自…
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95藤藤巻健太(維新)
ちょっといろいろ話が脱線してしまったんですけれども、いずれにせよ、熊による人的被害が増加しているのは事実でございます。熊に限らずスズメバチ、マムシを、そういった被害者を一人でも減らすべく、環境省の方には最大限の対策をしていただくことをお願いいたしまして、私の質問を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
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逢坂誠二(立憲)
次に、許斐亮太郎君。
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- (上の発言)
97許許斐亮太郎(国民)
国民民主党・無所属クラブの許斐亮太郎でございます。
本日は、質問の機会をいただきまして、ありがとうございます。
私は、去年まで二十五年間、NHKで報道カメラマンに従事しておりました。その中で沖縄局での勤務も経験いたしました。その経験を踏まえて質問させていただきたいと思います。加えて、私は誕生日が二月の七日でございます。北方領土の日です。この委員会を心から希望してまいりました。
それでは、人生初の議会での質問に入りたいと思います。よろしくお願いします。
まずは、沖縄の戦後八十年について質問いたします。
戦争体験者や遺族にとっては節目などない、そう思いますが、国としては、この沖縄が歩んできた八十年の歴史、節目、そしてこの現状をどう捉えているのか、伊東大臣、宮路副大臣の思いをお聞かせください。
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伊東良孝(自民)内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策・消費者及び食品安全・地方創生・アイヌ施策)
許斐委員の御質問にお答えするところであります。
特にこの沖北の委員会では、この後、沖縄問題、北方領土問題に集中してお話が進むものだと思います。
中でも沖縄は、私も、大臣に就任してすぐ、一週間たたないうちに、一番最初に訪問したのが沖縄でありまして、さきの大戦で大変に筆舌に尽くし難い悲惨な地上戦を経験し、サンフランシスコ平和条約の発効以降も、本土復帰まで多くの時間を要することになり、県民は多大な苦難を経験したところであります。
また、本土と違いまして、国土面積〇・六%の県土に在日米軍軍用施設、米軍の専用施設・区域の七四%が集中をしておりまして、戦後八十…
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宮路拓馬(自民)外務副大臣
外務省としての沖縄政策への思いを外務副大臣として答弁させていただきます。
本年は、戦後八十年の節目の年になります。さきの大戦中、沖縄では国内最大の地上戦が行われ、多くの県民が犠牲になられたこと、そして、戦後二十七年間、沖縄が米国の施政下に置かれたことは、決して忘れてはならないというふうに考えております。
私の地元選挙区においても、十島村というところがあります。悪石島の沖において、対馬丸、沖縄からの避難民の方が乗った船が沈没し、多くの命が犠牲になりました。また、その十島村についても、沖縄と同様、戦後、占領下に置かれ、日本復帰したという経緯がございます。…
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100許許斐亮太郎(国民)
ありがとうございます。
伊東大臣、更なる質問で恐縮ですが、沖縄振興についてのお考えをお聞かせください。
沖縄戦を戦った海軍司令官、大田実中将が、昭和二十年六月六日、自らの命を絶つ前に、海軍次官に送った電報があります。御存じと思いますが、内容は、地上戦の惨状と県民の献身ぶりを訴えたものです。そして、その最後には、「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」、つまり、県民はこのように戦いました、県民に対して後世特別の御配慮をと結ばれています。我々が引き継ぐべきことではないかと私は思っています。
戦後八十年、改めてこの言葉についての伊…
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